母から受けた衝撃の言葉、、。
どうも~!結婚式まで88日しかないと知った今日、ダイエットすることを強く決意したにも関わらずパンケーキを食べているユリコーン(ゆりこ)です。
前回は私の幼少期時代について紹介したので
今回は私の学生時代についてサクッと紹介していきます。
小学生になったユリコーン
保育園・幼稚園でスクスク成長した私はついに小学校へと入学します。それと同時にアパートから一軒家へとお引越し。
祖父母からピカピカの赤いランドセル、大きな学習机も買ってもらい楽しみにしていた小学校生活が始まる予定だったのですが、、、
私は毎朝(約1か月間)、近所でも有名になるほど学校へ行きたくないと大泣き、大暴れ。
あの頃を振り返っても、「なぜ学校へ行きたくなかったのか」全く思い出せないのですが、あの頃はとりあえず学校へ行くのが嫌で泣けば解決すると思っていました。
泣く泣く学校へ行くも、授業は受けず教室の外で泣く日々。担任の先生からもほっとかれ、1人外で泣くだけの日々でした。
その頃の学習ノートを見つけたのですが、白紙、、、。
もちろんですよね、授業を受けてなかったので、、。
自分でも驚きです。
私には妹が2人います。その当時2人とも小さく、手がかかる時期で私が毎朝泣き叫ぶと母にとってはたまったもんじゃありません。
ついに母は私にこう言います。
「あんたが学校へ行かないなら、お母さんはこのトラックにひかれて死んでやる!!」
小学生の私には衝撃すぎる言葉。お母さんがいなくなる恐怖が大きくその日からちゃんと学校へ通うようになりました。
母は偉大です。
小4で急成長する
私は幼稚園のころから身長が高い方でしたが、小学校4年生の時身長が急激に伸びました。
小学生のその当時身長は160センチ以上。
ランドセルを背負っている姿は違和感でしかなく、あだ名は「巨人」となりそうですが、幸運にも私の同学年には170センチある超巨人がいたため、あだ名は「ごぼう」で済みました。ほっ
消去法で選んだ部活動生活
小学校を卒業し、中学校へと進学。
中学校といえば学業だけでなく、部活動でも仲間をつくり身体共に鍛える時期ですよね。
今だったら間違いなく「帰宅部」を選びますが。
その当時の私は運動が得意ではありませんでしたが
運動部がとてもかっこよく見え、運動音痴にも関わらず運動部に入部することを選択します。
中学1年生にとって3年生は大人、私にはとてもかっこよく輝いて見えました。
小さな中学校であったため、運動部と言っても5つほど。
バレー部、バスケ部は小学校から経験してる人が入るものとして扱われていたのでまず消去。
残りはテニス部、卓球部、陸上部。
テニス部と陸上部で迷いましたが、テニス部の練習風景を見た際、甲高い声で「ファイトー」っと言っている姿をみて「私には絶対無理」と消去。
その結果、陸上部へ入部する事にしました。
走るのは好きではありませんでしたがイケメンの先輩方に囲まれ幸せな部活動生活でした。最終的には部長まで勤るなど大活躍!(部員6名でしたが)←少ない
おちこぼれの高校生活
中学校ではそこそこ良い成績で調子に乗った私は県内で1番の進学校へと進学。
そこで待っていたのは落ちこぼれ生活でした。
「自分は頭が良い」という間違った確信から進学校へと進学しましたが、そこには想像を超える秀才ばかり、、(←東大、京大へと進学した友達)
完全に落ちこぼれました。成績がビリ近く。3年間という長い間、秀才のお友達を下で必死に支えてました。頑張りました。
看護学校へ進学
落ちこぼれの私はもちろん大学進学も失敗。
幼稚園のころから「看護師」になるという目標だけはあり、それに向かい直進していたのでしぶしぶですが看護学校へ行くことになりました。
本心は大学の看護学部へ進学しキラキラした生活をしたかった。
看護学校生活の事はこちらに詳しく書いてます↓
看護学校を無事に卒業し、看護師免許も取得したのも関わらず
海外へ行くことを決断。
続きは次で!
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